「今を生きる」第270回   大分合同新聞 平成27年8月3日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(97)
 世間的では「生きているうちが医療で、死んでから仏教」と考えている人が多いです。医療と仏教に長年かかわってきて見えてくるものとして、(1)医療と仏教は共通に「生老病死の四苦」を課題としている(2)世間での現実的な関わり合いの中で抜けている領域があるーということです。
 どういうことかと説明すると、医療は治療ということが主な関心事で、医学情報も診断・治療に関することが圧倒的に多いです。治療をし尽くした後や治療できなくなった病状に対して、医療情報が急に少なく、関心が薄くなっているという事実があります。
 医療界は回復不可能な「老・病・死」に直面した患者への対処は、一部緩和医療への関心は出てきていますが、現実的には対処方法、手段を持たないのです。
 一方仏教は本来、生老病死の課題と取り組んでいるのですが、世間一般の関心事は死後の葬儀や法要に関わる内容が多くなっています。
 現実的に両者を合わせて考えてみると、治療できない「老・病」に直面してから「死」までの間には関心が薄くなっています。それは人間が一番見たくない現実かも知れません。回復不可能な「老・病」、そして「死」に直面するときこそ、老・病・死の苦が現実のものとなるのです。
 この時に医学・医療は身体的な痛みには対応できても、「苦悩」への対応は難しいでしょう。この領域こそ仏教の四苦を超える教え、仏法が期待されるところであり、真価を発揮できるところです。仏教は2千数百年の思索の蓄積が仏教文化として残されてきています。
 仏教への関心を持ち始めたころは、仏教の教えも世間にあるいろいろな情報の一つであるという位置付けで考えるのは自然なことでしょう。
 そして仏教の知識を学びながら、私の救いや癒しに利用できるかどうかを考えがちであります。しかし教えを学び、仏の心を訪ねていくと、こちらの想定を「超えた」という表現がぴったりするような圧倒的な大きさ、深さ、周到さに驚き、感動させられるものです。
 仏教に出遇い感動する、目覚め、悟り、気づきの仏の智慧は世間の発想、常識を超えた世界です。だからこそ老病死の苦を超える世界に導かれるのです。

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