「今を生きる」第271回   大分合同新聞 平成27年8月24日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(98)
 老病死の苦しみを超える仏教文化を尋ねてみたいと思います。仏教の基本に「縁起の法」があり、釈尊の目覚めの内容として伝えられています。
 縁起という言葉は、「因縁生起」の略からきています。この世で起きることの全ては、因(直接原因)と縁(間接原因)との2種が働いて生ずると考える仏教独自の視点です。「縁起を見る者は法(真理)を見,法を見る者は縁起を見る」といわれます。
 「因」とはその主な原因のことであり、「縁」とはそれが生じる条件のことです。世界の全てのものは、直接的にも間接的にも何らかの形で関わり合い、相互に依存しているという関係を表わすものが「縁起の法」といわれるものです。
 私たちの身体の在り方も、この縁起の法則に沿っているのです。縁起の法で生じたものは、時間の最小単位、一刹那ごとに生滅を繰り返しています。生物学的、医学的に解明されている生物の生命現象のしくみと整合性があることに驚かされます。
 縁起の法は「諸行無常」、「諸法無我」という言葉で表されます。「諸行無常」というのは、この世の形あるものは全て相(すがた)も本質も常に流動変化するものであり、一瞬たりといえども変化せずに存在することはできないということです。
 「諸法無我」というのは、すべての存在には主体とも呼べる固定した「私(我)」がないこと、そして変化し続ける現象として存在するというものです。
 私たちは、「周りの環境と関係せずには生きられない存在」として生かされているという事実を縁起として表わしているのです。
 分子レベルで考えると人体は約10の28乗個の分子で構成され、死ぬとその構成原子・分子は地球上に拡散していきます。その後、遺族一人が一回の呼吸で吸い込む空気中には約10万個もの身内の遺体由来の原子・分子が含まれています。
 そして身辺を通り過ぎていく空気中には、1日当たり数千万〜数十億個もの亡くなった人の原子・分子が含まれる計算になるそうです。これは行方不明の人であっても死亡した後は同じような変化をするのです。

(C)Copyright 1999-2017 Tannisho ni kiku kai. All right reserved.