「今を生きる」第276回 大分合同新聞 平成27年11月2日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(102)
某大学医学部の生命倫理委員会で課題を協議中に、仏教関係の有識者委員が「そんなに欲望を満足させる医療で良いのですか」と問題提起したら、医学部の教授が「どうして欲望を満足させる医療で悪いのですか」と反論されたと聞きました。
秋はいろいろな果物が旬を迎え、食べることが楽しみです。しかし、肥満や糖尿病など生活習慣病を持っている人には健康に悪い誘惑となるでしょう。食べることの楽しみを優先して、病気は二の次になりがちです。
進行した胃がんを患った80歳過ぎの患者が「おいしいものを食べなければ損よね」と言われたことがあります。生死に関わる重篤な病気にかかっていても、われわれの長年の損得、勝ち負け、善悪の分別の発想は隠しようもなく露呈してきます。
あと数か月の命と言われたとき、どういう発想で何を大事にして生きていくのでしょう。多くの医療関係者が長年の経験から「生きてきたように、死んでいく」と発言されます。
健康であろうと、死を前にしていても、普段の日常生活の発想の基本は人間の持つ理性知性の分別の考え方です。物事をできるだけ正しく把握して、合理的に思考して、自分にとって都合の良いもの、好ましいものを堅実に積み重ねようとします。
特に衣食住を基本にしてその上に生きがい、楽しみなどを考えながら人生を組み立てていこうとします。この生き方を「しあわせ」を目指して生きていると言うことができます。
上品な欲望から、下品な欲望までいろいろあるでしょうが、われわれの考える「しあわせ」「幸福」は欲望の満足に深く関係しています。
社会的に言えば「最大多数の最大幸福」、政治においても全ての国民が活躍して、豊かで幸福感を持てる社会、「一億総活躍社会」を主導しようとしているのでしょう。
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