「今を生きる」第277回   大分合同新聞 平成27年11月16」日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(104)
 医療も仏教も人間の「しあわせ」を目指していると言えます。しかしながら、「しあわせ」ということの質的な違いがあるように思われます。
 有名な 「やまのあなた」(カール・ブッセ作、上田敏訳)という詩があります。 「やまのあなたのそらとおく 『さいわい』すむとひとのいう。ああ、われひとととめゆきて、なみださしぐみ、かえりきぬ。やまのあなたのそらとおく 『さいわい』すむとひとのいう」 
 というように幸福をわれわれは探して手に入れようとします。「幸福を探して幸福を見つけた人はいない。」という言葉もあります。 
 ロシアの民話に次のようなものがあります。農家の父親が死ぬときに3人の息子に遺言しました。それは「残してゆく畑の中に宝物が埋もれているから」という趣旨のものでした。
 3人の息子はそれから畑を耕して宝を探し続けたそうです。続けるけど、なかなか宝物は見つかりませんでした。でも畑を一生懸命に耕すことで春には種まきをして、作物を作り、畑の手入れをすることになり、秋には作物が実り、良い収穫をすることが出来たといいます。息子たちは畑を耕し続けながら、宝物が見つからないために、一時は「父親はうそを言ったのだろうか」と考えるようになりました。
 宝探しの耕作を続けながら、息子たちは宝のことをいろいろ話をしているうちに、長男が「父は畑の中に宝があると言った、しかし、それは金銀宝物というような物ではなく、畑を耕すことの大事さを言ったのではないだろうか」と気付いて、兄弟で同じような話をするようになったという内容です。
 宝物というものを手に入れることが目的だと、それを入手すると幸福になると普通は考えます。いったん手に入れた満足感を得るでしょうが、それがいつの間にか普通になり、感激が薄れ、次なる満足感を求める対象を探し始めなければならないということになっていくようです。
 兄弟は畑を耕すという仕事をする中で、その過程の中に大事な宝物になるものが存在するということに目覚めることの大切さを教えようとした、親の願いを感得したのだと思います。

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