「今を生きる」第280回   大分合同新聞 平成28年1月11日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(107)
 私たちは仏教の世界を分かろうとします。私の知人は学生時代から何度も『般若心経』の読破に挑戦してきましたが、難しすぎて挫折を繰り返してきたそうです。このたび、再度挑戦しようと解説書の本を購入したと言っていました。
 私は知人に、仏の智慧の世界は私たちの思考を超えた世界です。在家の私たちは欲を認めて煩悩を抱えています。その凡夫が煩悩を滅却した世界を理解しよう、分かろうとすること自体が矛盾している。そして、身体全体で受け止める智慧の世界を理知分別思考で理解しようとする方向性は、方法論として無理なことではないかと言ったことがあります。
 私たちに分かる世界は私の思考の範囲より小さな世界です。仏の智慧の世界は「悟り」といわれるように分別思考を超えた異質な世界です。それを分別で分かろうとすることは不可能です。私たちの理知分別の思考がすべてだ(絶対化と言う)と考える現在人には理解できないのです。
 日常生活において、自分の思考を超えた仏の智慧の世界なんて考えられないのです。だから、宗教は私には無関係なものと決め付けがちです。宇宙の元素を構成している小さな粒子の一つ、ニュートリノという物質が解明されようとする時代に、分別を超えた世界があるなんて信じられないという人がほとんどでしょう。
 私たちの思考がすべてだと考えている現代人に、仏の悟り、目覚め、智慧が私たちの思考の問題点を指摘する視点に少しだけ耳を傾けてみて下さい。世間一般の思考と仏教の智慧を比べてそれを自分自身のこととして考え、謙虚に見直してみることをお勧めします。
 私たちの思考が全てだ、絶対だと思っていたのに、それが「相対的なものだ」と気付かされるとビックリするでしょう。
 宇宙の物理現象や工業製品の説明に哲学・宗教はなくてもよいかも知れませんが、人間や人生全体を問題とするときには必須なのです。

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