「今を生きる」第282回   大分合同新聞 平成28年2月8日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(109)
 難病を経験された藤井美和さんという人が某大学「死生学」を講義されています。NHKの宗教の時間に出演された時の内容を入手して、大学の授業で教材として使っています。
 ガンを患い亡くなっていく過程が書かれた日記を学生と読んでいき「死の疑似体験」をしてもらうそうです。「死」を自分の課題として経験してもらうわけです。
 日記は、元気だった学生が突然体調が悪くなって(ガンだったのですが、違う病名を告げられ)、闘病生活をしていく過程を綴っています。だんだんと自分の命は長くないということが分かり、家族との対話で本当の病気を聞かされて亡くなっていく、その直前までの日記という設定です。
 授業の初めに学生に「今」を生きていく上で大切にしていることを12枚の紙に一項目ずつ書いてもらっておきます。「大切なもの」には四種類あり、「形のある、目に見える大切なもの」、「大切な人」、「大切な活動」「形のない、目に見えない大切なもの」を三つずつ挙げてもらいます。
 ガンの病状が進む中で、われわれがいや応なしに手放さなければならないものが出てきます。初めは大切だと思っていたものを死の6か月前、3カ月前、1カ月前、10日前、1日前、と時間の経過に合わせて再検討してもらい、大切の度合いの低い紙を一枚ずつ破り捨ててもらいます。破るというのは、自分が了解し、これを諦めるということです。大切なものが見直されることになります。
 私自身も知人の中に、同世代の人や私より若い人の死を身近に経験するようになってきて、「次はあなたの番ですよ」と言われてもおかしくない年齢になりました。
 仏教は物事を明らかに見ることを「悟り」といいます。生物学的、医学的に見ても我々の生命現象は細胞のレベルで壊れることを避けられないから、壊れる前に自分で壊死させて、同時に再合成させて、生命現象をかろうじて維持しているのです。死があるからこそ「生」が「あること難し」と気付いていくのでしょう。

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