「今を生きる」第283回   大分合同新聞 平成28年2月22日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(110)
 法話の中で「比較病」という表現を聞くことがあります。これは人間の煩悩の一つの「我慢」、「慢」のことをいっているのです。われわれは人と比較して上だ、下だと優越感・劣等感で心が揺れ動くことが避けられません。
 寿命についても、若くして亡くなると「未練」があっただろうとか、90歳を超えていたから「大往生」だと話題になりがちです。仏教では仏々相念といって仏のレベルに達したときに仏の思いが分かるといっています。人を見て「ずるい」人だ、「ケチ」な人だと見えるのは、自分の心の反映だと教えてくれています。人の死を見て「未練」とか「大往生」などというのは、自分の思いが露呈しているのです。
 戦後の欠乏の時代から物の豊かさを実感して来た世代は「物」の量的な豊かさに執(とら)われる傾向があります。寿命もその一つでしょう。世界に誇る長寿になっています。長寿になっても健康な長寿でなければと言って、「健康寿命」という尺度も使われるようになりました。健康寿命を比較しても日本はトップクラスにいるようです。それはそれで素晴らしいことでしょう。
 しかし、ほとんど注目されないのが平均寿命と健康寿命の差です。世界的に見てほとんどの国で差は7年だそうです。ところが、これが日本では10年です。この差の「3年間」は何を示しているのでしょうか。
 厳密に調査をして検討したのではないのですが、これは医師の生命現象に対する死生観の違いではないかと思うのです。延命治療に対する医師の人生観、価値観の違いでしょう。
 私たち団塊の世代の医師が教育されてきた時代は寿命を延ばすことが良いことだという雰囲気が日本を席巻していたように思われます。今でもその傾向があります。量の豊かさ、時間の長さを追い求めた時代だったのです。
 食べられなくなった高齢者を自然の経過として「看(み)守り」をする医療者へ、「餓死させるのですか」と非難めいた言葉がかけられていました。餓死させないために延命した結果が3年という数字に出ているのでしょう。今、その3年間の生活・生命の質が問われようとしています。

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