「今を生きる」第284回 大分合同新聞 平成28年3月7日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(111)
生命を大切にと言われるとき、「大切にする」ということの意味が問われます。医療の世界で「廃用(はいよう)症候群」ということがあります。高齢者が骨折や肺炎などにより、入院生活を強いられてベッドの上の生活を余儀なくされると療養時間が長くなって、結果として手足などの機能低下をきたし、寝たきり状態になった患者の病名が「廃用症候群」です。
その予防のために「早期離床、早期リハビリ」がいわれています。以前は病気というと安静にすることが療養の基本でした。その結果「寝かせきり」にしておく時間が長くなって「寝たきり状態」を作ることになっていたのです。
誤解を恐れずに言うならば「安静にする時間を短くして、無理をしてでも動かしてリハビリを推進する」ということが患者のためになるということです。高齢者を「大切に」ということで、本人に何もさせなくて「いろんなことを介護者がしてあげる」ということは結果として良くない(本人のためになってない)ことになりそうだということです。
結核という病気で若い人が多く死亡するという経験をした日本社会は医療によって寿命を延ばすことを第一目標にして、救命、延命を優先課題として取り組んできました。医療の進歩により着実に寿命を延ばしてきたのです。
しかし、そのために寝たきり状態の患者が病院や福祉施設に増えるという結果になりました。そのために延命した時間の「生命、生活の質」が問題にされるようになっています。
同じように高齢社会を迎えつつある欧米の国々と比較して気づくことは、欧米では日本のように延命治療をしていないということです。
加齢現象の結果として体力や気力の低下した人には、食べさせる工夫をしながら食べてもらえるように努力する。しかし食べられなくなったら、それ以上の延命の為の処置はせずに、自然の経過を尊重しているということです。
そして枯れ木が自然に倒れるがごとく、苦しまずに穏やかに最期を迎えることが「欧米の常識」となっていることに、医療関係者は戸惑いの思いとともに気付かされるのです。
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