「今を生きる」第286回   大分合同新聞 平成28年4月4日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(113)
 世間の中を生きていく上で、私は小ざかしさを人一倍持っていたためか、実学の医療を学びました。その後、仏教に多くのかかわりを持つようになって、文科系の勉強不足を痛切に感じています。しかし、そのためか哲学・宗教を学ぶことにおいては、ワクワクした好奇心が湧いてきて、引き付けられます。
 「哲学的思考というものは、人間は何のためにこの世に生きているのかという問題への思索です」と哲学者の本には書かれています。そして、「人間はただ生るだけでなく、よく生きることが大切であるということ」を深く考察していく領域だと言われています。
 ソクラテスの言動を記録して残した弟子プラトンによれば、「哲学というものは、簡単に言えば死ぬことの練習です。これは自殺の練習ではなく、『死を超えていく覚悟』というものを平生から得ておくことが哲学的思考なのです」と示されています。
 事情はよく分からないのですが、ソクラテスは裁判で若者を惑わした罪によって裁判で死刑判決を受けています。死刑を逃れる道はいろいろあったのですが、法を尊重して死を怖がらずに毒杯をあおいで死を受け止めていったといわれています。
 宗教と哲学の関係はどうかと言うと、「宗教というものは、われわれのいかなる哲学的反省も届かない深い深淵だ」と宗教哲学の学者が言っています。
 仏教では、私がなぜ如来に救われるのかということは、人間の理知では到底分からないです。われわれが如来に救われなければならないというのは神秘です。私たちは「お浄土」と簡単に言いますが、誰もお浄土を見たことがないのです。しかし、浄土に生まれていくということは真理です。それは人間の計らいでは分からないだけなのです。
 哲学者の西田幾多郎は、「理由付けをして納得できるものは宗教と呼べません。けれども、われわれがそれを聞いたら深く安心できるようなもの、そういう世界が宗教だ」という趣旨のことを言われています。
 人生において「生きる」「死ぬ」が課題となった時は、医学だけでは間に合わない、哲学・宗教を含めた全人的対応が必要となってきます。

(C)Copyright 1999-2017 Tannisho ni kiku kai. All right reserved.