「今を生きる」第287回 大分合同新聞 平成28年4月18月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(114)
北九州市にある産業医科大学(初代学長、土屋健三郎)は建学の精神の第一に「人間愛に徹し、生涯にわたって哲学する医師を養成する」を掲げています。そのため、にキリスト者で仏教にも造詣の深い本多正昭教授が哲学を担当されました。また、多くの宗教者を講師に招聘して講義を行ないました。
産業医科大の当時のスタッフ吉田眞一氏(九州大学医学部元教授、細菌学)は仕事の時間を割いてその講義を受講されたといいます。その後、吉田先生は福岡で初めて開催された日本医学会総会の分科会で、「哲学・宗教と医学」関連のシンポジウムを企画主催され、私は聴衆の一人として参加しました。
昨年の九大での彼の最終講義は「矛盾的相即の哲学」というテーマで、仏教哲学である西田哲学の世界を分かりやすく講義されたということです。
生老病死の四苦に深く関わる医学・医療において、局所の病気ではなく、「生きる」「死ぬ」の全人的課題を担う医師は哲学的な問題に否応なしに直面します。患者の人生の重要な課題、「死」に関わる医師には、「人間愛に徹し、生涯にわたって哲学する医師」であって欲しいと願わざるを得ないのです。
以前、看護婦という名称が使われていた看護職に男性も就くようになり、名称の変更が検討されました。その結果「看護師」という名称になりましたが、医師と看護師は共に「師」がついています。「士」ではなく「師」がつけられたということは病気に局所的に対応するのではなく、人間全体、患者の人生全体(生老病死)に関わる職種であるということが期待されているということでしょう。
死の前後に関連する領域は医学、哲学、宗教などでしょう。死亡診断書を書くのは特権的に医師だけに認められています。人の死に関わる職種の人は哲学的であって欲しい、自分の不得手な領域と自覚するならば、そういう関係者とチームを組んで全人的な配慮をすることが期待されます。最近、臨床宗教師が、数は少ないですが注目されるようになっています。
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