「今を生きる」第293回 大分合同新聞 平成28年7月16日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(120)
私たちの「分別知(理性、知性での思考)」で考えると、「今日しかない」ということと「明るい未来はある」ということは両立しないと考えるでしょう。しかし、仏教の智慧の「無分別知」では両者は矛盾なく成り立つのです。
数学では一次元は直線で表わされます。二次元だと面を表し、三次元は立体で表現されます。直線を数学的に表現すると、長さはあるが幅がないということになります。幅のない直線は見ることが出来ませんが、直線を面と面が交差して接したところと理解すると、イメージできるでしょう。
直線を狭い道に例えると、車と車が離合する時に苦労します。時には運転者どうしの「我」の張り合いでけんかになることもあるでしょう、一方が広い所へ戻って道を譲ることがなければ離合できません。狭い道から広い道へ拡張(直線から面へ)されたとします。広くなったということは直線が集まって幅がある面になったということです。
道幅が広ければお互いが少し端に寄って譲り合って悠々と離合することができます。直線が集まって面になるということは、二次元の世界である面には一次元の直線は含まれているということです。
一次元の世界を私たちの分別知の次元だとすると、仏の智慧は一つに上の次元、二次元のような世界です。二次元から一次元の有り様を見ていくと、一次元の窮屈さがよく分かるのです。分別知で思考する者は自分の思考が全てだ、これ以外考えようがないと自負するのですが、仏の智慧の視点(無分別の世界)から分別知の世界を見ると、絶対と思っていたことが相対化されて、分別知のありさまの問題点がよく分かるでしょう。
無分別知(仏の智慧)の世界から私たちの分別知の科学的思考を見ると、分別は客観的であることを尊重していますが、分別の世界は表面的で浅く、狭く、粗く、局所的であることを知らされます。そして理知分別の背後に潜む頑固な自己中心性(煩悩)を指摘するのです。
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