「今を生きる」第294回   大分合同新聞 平成28年7月30日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(121)
 他力本願を世間では、「他人の力で事を成すこと」と考えているようで、良い評価の言葉ではありません。仏教の世界では、他力とは自分の力ではなく、物事は多くのおかげ(力、はたらき)によって成り立つことを示しています。本願は、本来とか根本の願いです。すなわち、あるがままの相(すがた)に気付け、目覚めよとの願いを示します。
 以前に医療の世界で、重症の外傷で入院してきた高校生に種々の治療を行い、次々に起こる症状に対応して救命できたことがありました。
 大学病院にいた同級生(ある分野の専門医)にその顛末を話したら、彼が「若者は体力があるなあ!」と言ったことが印象に残っています。われわれの的確な治療を評価してくれるかと思っていたのに、意外な発言だったからです。
 われわれが知識、技術の最善を尽くして治療に取り組んでも、それは本来備わっている治癒力があればこそのことです。体力がなければ、種々の治療に反応できないことになります。自力を尽くしてみて振り返る時、多くのおかげによって患者の治癒力が保持されていたから、治癒することができたのではないか思います。
 ある有名な医学雑誌の編集者(医師)が、「長年の医療の経験から、患者の病気がよくなるとき、80%は自然治癒力によるものと考えられる」と言っていたことが思い出されます。
 仏教の種々の修行をして、師から認められるような人に自分の努力を誇るような人は居ません。こういう結果を出せたのは、多くのおかげによるものだと修行して気づかされましたと言われます。
 指導してくれた師、先輩方、釈尊、仏法を伝えてくれた諸仏・菩薩がたの恩徳にお礼を述べます。そして、現在の自分を支えてくれている家族、同僚、多くのおかげに必ず感謝の言葉を表わします。
 自力を尽くしてみれば、他力の世界に気付かされたのです。それが、仏の智慧で見える「あるがままの世界」であったということです。

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