「今を生きる」第298回   大分合同新聞 平成28年9月24日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(125)
 「お任せする」にしても人間相手の関係と、仏さん相手の関係では違ったものになります。
 私の中学の恩師ですが、私が主治医をしている患者さんがいます。少し神経質で、以前は病院へ行くのが苦手だったそうです。気楽に声もかけにくいし、ゆっくり話や質問もできない雰囲気であったそうです。血圧を測るときも、高いと嫌だなとドキドキしてストレスを感じ、病院へ行くのが苦痛だったと話していました。
 私が宇佐市に帰って来たので、私の病院を受診してくれるようになりました。そして、「田畑君だと気楽に話ができる。診察も混んでなくて、じっくりと何でも質問できるから安心だ、田畑君、任せているからね」と言われました。
 忙しくない時には、診察室でいろんな雑談をすることがあります。あるときに「将来、先生の体調が悪くなって私が診察をしたときに、誤診をして先生に都合の悪い状況がおこたったとします。私は先生の教えを受けて、その延長線上で医師になっているのですから、そのときは、『わしの教え方が悪かった、足りなかった』とあきらめてもらわないといけませんね」と冗談めかして言ったら、即座に、「そりゃ、困る」と反応されました。
 しかし、仏さんとの関係の「お任せする」は違います。仏の智慧に照らされて、私の理性知性の分別の思考は浅くて、狭くて、愚かなので、そのために迷いを繰り返していることを身をもって知らされます。
 仏の智慧の世界の圧倒的に大きい(深くて広い)ことに目覚めさせられます。仏の働きは、「仏は私に呼びかけ、呼び覚まし(自分の姿に目覚め、仏のはたらきに気づかせる)、仏の世界へ呼び戻す」と表現されます。
 仏法の学び、教えをいただく歩みで、仏の智慧の大きさに気付かされると、自然と「お任せの世界」に導かれ、安心が生まれるのです。仏の智慧は、「人間とは?人生とは?」という世界を見通しているのです。

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