「今を生きる」第302回   大分合同新聞 平成28年11月21日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(129)
 仏教では生きる、死ぬは「仏におまかせ」と表現することが多いです。人間関係で「おまかせする」ことができるのは、相手を信頼できる場合だけです。それは、信頼できない相手にはできませんから。
 車に乗せてもらったとき、助手席から運転手にあれこれ注文するのは信頼していないのです。飛行機の場合、運航会社や操縦士への信頼があるのでしょう。仏におまかせができるのは、仏の世界への信頼が圧倒的だからです。仏の働きを感得できる人においては、それが成立するのです。
 私に具体的に働き掛ける仏を「真仏」と言いますが、私への働きがなく、向こう側に眺めるような仏は仮仏と言います。仮仏は私が観ずる仏であり、私が考える仏、私が願い事をする仏です。真仏とは私が照らされて、私を教え、願ってくださって、私に働き掛ける仏です。
 仏法は人を通して伝わると教えられていますが、私に仏法を伝えてくれるよき師、よき友の背後に仏の働きを感得するのです。
 普通、われわれは「自分のことは自分が一番よく分かっている」と考えています。しかし、仏法の師と出遇った人が、「私を、わたしよりも知っている方がいた。私を、私以上に大事に思ってくださる方がいた」という感動で表現されていました。
 私も仏教の学びを続ける中で、仏(悟り、目覚めた人)は人間の内面の問題を見抜いておられると考えるようになりました。そして「人間とは?」「人生とは?」という大局的な問題を見通している言葉として、「目覚め」、「智慧」などと表現されていることに、うなずけるようになりました。
 個々の人間に関する知識ということではなく、人間の理性・知性による思考方法や生き方の背後に宿されている闇(煩悩や対象化の問題点)に関しての深い洞察への驚きです。
 仏の目覚めや気付きは、人間の理知分別による思考を超えていると気付かされるのです。だから自然と「おまかせ」できるのです。

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