「今を生きる」第305回 大分合同新聞 平成29年1月9日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(132)
人間に生まれたことで必然的に伴う老病死も、人間の知恵で管理支配できるはずだと医学は考え「健康で長生き」を目指しています。しかし、昨今の研究では、120歳を超えることは無理のようだというのが定説になっています。
一方、宇宙旅行ができるようになると、光の速度以上の宇宙船では時間の経過が遅くて、地球上よりも年を取るのが遅くなるともいわれています。それらのことが可能になったとしても、しょせんは老病死の先送りでしかありません。
お釈迦さまが悟りを開いた時、最初に「われは不死の法を得たり」と言ったと伝えられています。仏教の歴史の中で、中国の高僧曇鸞(どんらん)は体調を一時的に壊してからは、仏教の勉強のためにも体調を整え、できれば不老不死の術を学んで長生きをしなければと考えました。それで仙術を学ぶために仙人を訪ね、身につけたと伝えられています。
インドで仏教を学んで帰ってきた三蔵法師に、曇鸞は得意満面の顔で、「仏教に、この長生きの仙術以上の教えはあるか」と問い掛けます。曇鸞の近視眼的小賢しさに、三蔵は悲痛な思いで仏の大きな世界を説く浄土の教え、経典を授け示したといいます。
その教え(無量寿の世界、永遠)に曇鸞は驚き、感動して学んできた仙術を直ちに焼き捨てたと伝えられています。
仏教の悟りの智慧は不老不死の仙術に勝る教えであり、まさに「悟り」、「目覚め」と言わずにはおれない世間の発想を超えた内容だったのです。
今の医学、医療は中国の長生きの仙術の延長線上にあるものです。東洋医学でも西洋医学でも、人間の考える「長生き」は時間的な長寿のことです。
仏教は長生きを願う「私の思い」を問題にし、「私の思い」の中に潜む問題点(煩悩)を指摘し、それを超える世界を教えようとしているのです。
生きていることの貴重さ、ありがたさに目覚めて精いっぱい生ききる。完全燃焼するがごとく未練なく生きることができる時(仏の智慧で実現可能)、命の時間的な長短にとらわれない一日を生ききり、後は「仏におまかせ、南無阿弥陀仏」と教えてくれています。
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