「今を生きる」第307回   大分合同新聞 平成29年2月13日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(134)
 曹洞宗の道元禅師の言葉に「生から死へと移るのではない―生より死にうつると心うるは、これあやまりなり―」というのがあります。
 仏教では、われわれは様々な因や縁の集合体として存在していると見るのです。そして、生まれる前も死んだ後も何らかの因や縁の集合体という「在り方」をしていると考え、受けとめるのです。その過去や未来の存在様式はわれわれの思考を超えた在り方だと推測するしかありません。
 道元によれば、今生きている「生」というのは一つの領域であって、一刹那一刹那ごとに初めと終わりで囲まれていて因縁の集合体として、生死一如として存在し、完結している。同じように死後の未来も、存在様式は因縁の集合体であり一刹那ごとに囲まれて完結して存在いるだろう、と考えるのです。そして、生きている間は生死一如の表の生の姿が露出している「生」だけの存在様式で存在し、普通に考える死のあり方とは無関係です。死ねば生死一如の裏の死が表面に出る「死」だけの存在様式になっていくだろうと想像します。
 臨床の現場では、一人の患者が状態が悪くなる時、変化の様を診察しながら観察することになりますが、そこでは「生から死へ連続的に移ると考える」ことになります。医学的に見ると、身体的にはそう観察されるかも知れないが、一人の人間の全体像を総合的に感得する仏の智慧の眼で見るとそれは「全体を正しく見てない」というのです。
 一人の人間を身体的に観察して客観的に把握したと考える全体像が、その人の社会的存在、歩まれた人生の歴史的存在の面や心や精神面などをすべて包括した全体像を考える時、医療の準拠する科学的思考の客観性ということはその人の一部分的な受けとめであって、全体の把握になってないことが思われます。

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