「今を生きる」第308回   大分合同新聞 平成29年2月27日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(135)
 仏教では三世の救いを教えます。そう言うと、われわれは考えようのない生前や死後を考えて、輪廻(りんね)転生を仏教は説くのですかと問われそうです。そのことに関して鈴木大拙師の米国での学生との対話が伝えられています。
 学生が「先生は、本当に輪廻転生を信じていらっしゃるんですか」と聞くと、それに対して理屈では答えずに、「わしは猫が好きでなあ。殊(こと)によったらわしの前世は猫だったかもしれんなあ」と言われたというのです。その一言を聞いて学生は納得したそうです。
 これは「信ずる、信じない」とか「あるか、ないか」という問題ではなくて、「理屈を離れた、実感の問題なんだ」ということです。鈴木先生がそう感じておられるのを、「おかしい」「反対」というわけにもいかないのです。
 仏教の智慧は理屈以前の世界のことなのでしょう。理屈以前の世界からものを言われると、なんとなく納得できて疑問が消えてしまうのです。
 仏教のお育てを頂く歩みで知らされることは「実感する」ということで、その内容が「人間、人生」を全体的(広く、深く)に見透かしていると実感させられるのです。
 仏教は「今、ここ」の実感を大事にします。そのことを示す鈴木先生の「逸話が伝わっています。米国の有名な心霊学者に会った時、その学者は死後の世界について滔々(とうとう)と語りました。
 ところが、大拙先生が一向に熱心に聞こうとしないので、「あなたは死後の世界が気にならないのですか」と詰(なじ)るように言われた時に、間髪を入れず、「死んでからでは遅いではないですか。今、どう生きるかが問題です」と答えられたということです。
 この言葉は、死後の世界という未来がどうであるかが問題ではなく、人間にとってはあくまでも現在只今の事実こそ最も確かなものとして、その現実を頂いて、いかに生きるかということこそが大切であると教えられていると思います。

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