「今を生きる」第310回   大分合同新聞 平成29年4月10日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(138)
 「死の臨床」という医療者の研究会で、「親しい人の老い」をどう受け止めるかというテーマの議論がありました。その演者の一人が、自分の親の臨死の時、延命処置をするか自然の経過を尊重するかの決断をしなければならなかったのです。「子供の私が親の命の決定をすることの責任の大きさに戸惑った」という発言をされました。
 私は演者の一人として、「その時々の場面で自分なりに情報を集めて51パーセントでも良かれと思われる決定をしてもよい」という趣旨の発言をしました。その理由として、「人生とは取り返しのつかない決断の連続である」という言葉を紹介しました。
 補足として、「脳科学では、コンビニでビールを買う時にどの銘柄にしようかと決断することと、この人と結婚しようという時のそれは、同じ決断だと言われています」と発言をすると会場に一瞬、どよめきに似た反応が起こりました。
 「今を生きる」「一瞬一瞬を大切に生きる」とは、その時の決断を大切にして精一杯生きることです。我々がより所にしている理知分別は冷静に物事を分別しているようですが、その判断にいろいろな思惑、好き嫌い、善悪の思いが入り込んで、結果的に冷静な判断になっていないのです。
 我々の日常生活における一挙一動は、瞬間瞬間の決断でなされていることで、それは取り返しのつかないことです。そういう重みのあることを生きているのです。
 そうであるのに物事を重要視したり、軽視したりするということは、現実を受け止めきれずに、キョロキョロとよそに目が向いていて、「今」を全身で受け止めてない姿なのです。
 仏の智慧は、「瞬間瞬間の決断だとしても、それが精一杯の決定なのです」と受け止めることを教えているように思います。その積み重ねが我々の人生の実態です。
 世間の目を気にして振り回されるのではなく、仏の前なる生活として、生きる姿勢を正されながら、私に与えられた状況を精一杯受けとめて生きて行きます。仏様どうぞ見守っていてください、というのが仏教を生きる者の生き方です。

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