「今を生きる」第313回   大分合同新聞 平成29年5月15日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(140)
 近年、医療の現場でよく聞かれるようになった「QOL(quality of life、クオリティー オブ ライフ)」は「生命、生活の質」と訳されます。単に生きている時間の長さを尊重するのではなく、生きていることの「質」を重視しようという考えです。「不老不死の世界を質的に生きる」とは「生きることの質を大切にしよう」ということです。現在、100歳超えた人が亡くなると「大往生」という言葉が使われますが、若くして亡くなった人では言われません。これは戦後の物資の少ない時代を生き、「量」を尊重してきた影響が色濃く残っていると思われます。
 老病死を考える時、現代の日本人の多くの共通するのは「私の人生は一回だけで、死んだら終わり。だから、生きているうちに、楽しいこと、心地よいことをすればいい。それが私の幸せであり、人生の目的である」という発想ではないでしょうか。
 この発想は意識するしないにかかわらず、程度の差はありますが、虚無主義と快楽主義と個人主義が複雑に絡みあいながら形成されています。生きることの目的や意義、そして直面する老病死についても意味や物語を見出せていないのです。そのため、生きていく幸せの基準を生きている実感が最も得られやすい、個人の快楽に求めているというわけです。
 楽しく生きることが幸せだと考える人にとって、人生の最後に老病死につかまることは「不幸になる」ということでしょう。また、幸せになろうとして、幸せを未来に追い求めて生きることは、現在はいつも「幸せでない」ということになります。今が本当に「幸せ」であれば幸せを求めるという発想は起こらないでしょう。幸せを求めれば求めるほど「不幸せ」になるという悪循環に陥ります。
 仏教の智慧に育てられる歩みで、仏教の視点の質的な深さ、広さに驚かされます。私の思考内容を仏の智慧の目で見ると、浅く、狭く、刹那(せつな)的な在り様を「愚か」と見透かしています。それをお経の中では「汝は凡夫なり」という表現で表しています。お経の言葉は質的に深い味わいや意味を持っていることに気づかされます。
 本来、私たちは自分が愚かだと思っていないから、自分より下とみなしている人から人格を否定するような言葉や「智慧がない」と言われるとすぐに腹を立てるのです。

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