「今を生きる」第321回 大分合同新聞 平成29年9月18日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(148)
仏の働きが及んでいる場を浄土と言います。さまざまな仏がいて、それぞれに固有の浄土があります。浄土とは「そこに身を置けば仏の智慧の視点で見ることができるように導かれる」−そんな場です。
私たちが生まれ育った環境や受けた教育などによって、その人特有の世界観、人生観を持つようになり、それは親しい家族や友人であっても同じものではありません。そして他人とは違った世界を持つようになるのです。
幼児期に病気の影響で視力と聴力、言葉を失う三重の障害を持ちながらも福祉活動などに尽力した米国人のヘレン・ケラーは「言葉を知る前は動物的な暗黒の世界を生きていた」と述べています。言葉を知り、教育を受けることで過去の自分の有り様が見えてきたということです。言葉を覚えて飛躍的に人格が養われたと思われます。人間は育つ環境によって動物的になったり、人間的になったりするということです。
仏教では私たちの心の状態を六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)で表現しています。人間とは「間柄を感じ、多くのおかげさまで生かされている、支えられている」と感じることができる存在です。一方、餓鬼と畜生は「欲しい」ということだけに心を奪われ、飼い主の意向に縛られ主体性がなく本能のままに行動するような存在です。
関東の小学校の5年生35人が社会見学でお寺を訪ねた時の話です。ご住職が「お家のお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんが食事の時に手を合わせるのを見たことがある人はいますか」と尋ねたら、全員が見たことがないと答えたそうです。
植物や動物のいのちを頂き、酸素や水のお陰で生かされているという気付きや目覚めがなく、そのことを当たり前と考える現代の家庭環境や社会状況は人間を育てるのではなく、餓鬼・畜生を育てているのではないかと危惧します。
このことは他人事ではなく、仏の智慧に照らされることで私の中にある餓鬼性、畜生性を知らされます。
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