「今を生きる」第324回 大分合同新聞 平成29年10月30日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(151)
日常生活で様々な事に出合った時、この現実は私に都合が良いとか悪いかや善悪、好き嫌い、損得、勝ち負けなどを小賢しく考えます。そこに「仏さんならばどう考えるだろうか」という発想はありません。
仏の世界は、私たちの世間の発想とは違う異質な世界です。現代社会はストレスに満ち溢れていて、私たちは日常生活の発想では解決の難しい問題に直面した時、問題を先送りして逃げ出したくなります。そんな時に異質な世界である仏の発想(悟りや仏の智慧)に触れると、想定外の事でも受け入れ、納得が得られる可能性があるのです。
「仏だったらどう考えるか」という発想に身を置くことは、浄土(仏の働き)に触れていることといえます。世間生活の発想では、いつも周りの人の目を気にして人間の(世間の)モノサシで考えます。そして皆と同じだと安心する傾向があります。
私は龍谷大学(京都市)で講義をする時、学生に「この大学で学ぶことは、世間のモノサシとは違う、仏のモノサシがあるということを学ぶことですよ」と繰り返し言っています、しかし、どれだけの学生さんが受けとめてくれているのだろうかと思います。一方、熱心頷きながら聞いてくれる社会生活を経験した学生や一般の聴講生たちの存在は講義をする励みになっています。
仏教を学ぶことは、私たちの世間的な思考を見直す機会を頂くことになります。仏のモノサシで私に起こったことを見てみると、私たちが常識と考えている事でも、偏見に執われていて物事の全体像を正しく見ていないことに気づかされるでしょう。
多くの念仏者を育てた仏教の師と門徒の対話があります。
門徒「先生、私は死ぬのが怖いです」。師「何を言うとるか。その前に、お前は生きとるのか? 生きとるか死んどるかわからん顔して!」―。こんな会話で目覚めが促(うなが)されるのです。
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