「今を生きる」第331回   大分合同新聞 平成30年2月26日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(158)
 フランスの哲学者ボーヴォワールは著書『老い』の中で「人生の最後の15年から20年を廃品として見るような文明は挫折している」と書いています。長寿で知られ、昨年105歳で亡くなった医師の日野原重明氏も、この言葉を医学界でよく紹介されていました。
 人間の理性による思考では「老病死」は幸せに過ごすにはマイナス要因です。医療が「良き死」を目指すというときには、死は不幸だと定義しない大きな価値観の変換が必要になるでしょう。そのようなことから、医療界に「良き死」の考えを取り入れることは、第三のパラダイムシフトといわれるのです。
 これまでの医療は生きている間だけを問題とする分野だと考え(例外として病理学、法医学などがあります)、死後について対象としていませんでした。しかし、治療をしていく中で患者の人生に関わるとき、体や心理面だけでなく、人格や社会的立場なども含めた総合的な観点(全人的)からの問題も俯瞰(ふかん)的に見る宗教的観点が必要になるのではないでしょうか。
 お産の前後を周産期と言うように、死の前後の期間を周死期と呼ぶ流れが出て来ています。宗教は周死期を対象としています。仏教は「今しかない」という実感を大切にしながら、一方で「三世(過去世・現世・未来世)の救い」を説きます。
 宗教性を排除する日本の医学界で、「良い死」を実現することは難しいかもしれません。しかし、死を見つめ直す動きの中で、医療と仏教が協働しようとする取り組みに関心が高まっています。終末期の人を宗教の立場から心理的に支える臨床宗教師の養成が2012年より東北大学で始まりました。活動は広がりを見せていて、私の所属する龍谷大学など導入する大学が増えています。
 ホスピス運動の中で、患者の生活と生命の質(quality of life )が重要だと考えられるようになり、患者に人間らしい対応をすることが求められるようになりました。それは、患者を治療の対象として生物学的モデルと見るのではなく、人格を持った人間として尊重するというものです。「人間を、人間たらしめているものは何か」が問われている時代なのです。
 そして「生命・生活の質」の先には「死の質(Quality of Death)」が課題になってきます。仏教では、「良き死」を迎えることは、人間としての成熟や完成に向かうという受けとめをします。このことは、人間が死ぬことを「仏に成る」と表現することが示唆していると思われます。

(C)Copyright 1999-2017 Tannisho ni kiku kai. All right reserved.