「今を生きる」第336回   大分合同新聞 平成30年5月14日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(163)
 食べるための仕事に「忙しい、忙しい」と言っている間は生きることの意味なんて考える余裕がないという人がほとんどです。
 「何のために仕事をするのですか」と問われれば「生きるためです、食べなければ死ぬでしょう」となります。しかし「食べても死にますよ」と言われれば、返答に困ります。食べても死ぬという事が分かると、生きることの意味が問題になって来るのでしょう。宗教や哲学はその問題を思索してきたのです。
 医療福祉の領域でクオリティー・オブ・ライフ(QOL・生活、生命の質)が問題となることがあります。
 救命、延命を至上命題として病気の治療をした結果、患者さんの生命を助けることはできたものの、治療後に意識障害が残り、寝たきり状態の長期の療養が必要となってしまったー。このような患者さんのQOLは家族や医療者に悩ましい問題を投げかけることになります。
 「食べなければ死ぬでしょう」の発想が、鼻や胃に管を通して栄養を送る経管栄養や、血管から栄養を送る点滴による治療になっていきます。日ごろ「生きることの意味なんて暇な人の考えること」と言う人でも、病状によっては自分や家族の治療の選択を迫られ、命の大切さを考えるとき、生きることの量(長さ)ばかりでなく、質を考えざるを得なくなるのです。
 命の危機にさらされて医療機関を受診した患者さん対して、医師は助ける方法があるのに、その治療をしない場合は、法律で罰せられる可能性があるそうです。しかし、治療後の療養で患者さんに不自由さや苦痛を強いるだけになるとすると、治療をするかどうかは患者や家族、医療者を非常に悩ませることになります。
 医療現場では治療の実施に関しては医療者から患者、家族に十分な説明がなされた上で、本人および家族の同意がそろって開始されます。これを「説明と同意(インフォームドコンセント)」といいます。相談のときに経験のない患者本人や家族は治療後の生活・生命の質まで見通せないために、そのような問題が起こるのです。

(C)Copyright 1999-2017 Tannisho ni kiku kai. All right reserved.