「今を生きる」第337回   大分合同新聞 平成30年5月28日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(164)
 生活・生命の質(QOL)について、臨床宗教師制度の確立に尽力された岡部健医師(宮城県)が、1970年代に初めて経験した人工呼吸器を装着して肺炎治療をした患者について次のように記しています。
 救命に血道をあげていた私は、気管を切開して管を入れ、吸引機で痰さえ取れば生きることができるまで回復させたのだと得意満面だった。その後外来で診ていたのだが、2年ほど経ったころに肺炎を起こして再び入院した。その時、いきなり患者さんから「管を全部はずしてくれ」と言われたのです。
 私は「この管を外したら、痰がたまって死んでしまう。そんなことはできない」と説得したが、患者さんは毅然(きぜん)として翻(ひるがえ)さなかった。
 「お前が若くて一生懸命だったから我慢してきたが、もういいかげんにしてくれ。このまま生きていても家族に迷惑をかけるだけだし、生きていることに未練はない。親しい友人はみんなシベリアで死んだ。あの世に行ったら会えるかも知れない。あの世で会いたいが、かといって自殺はしたくない。頼むから自然に逝かせてくれ」。この「我慢していた」と言われたときは本当にショックだったー。
 医療者が救命、延命で患者にとって良かれと思って治療しても、その結果が患者の望まない状態になることはしばしばあります。いわゆる治療の後遺症と言われるもので、命は助かって、その状態が患者の想定外で受容できないことがあるということです。
 病気を治療する医師は結果によっては生命に関わるし、病気や治療の後遺症として障害を持つ患者に直面することになります。医療行為は病気に関わるだけではなく、患者の生活、そして人生にまで影響を及ぼすということです。医師は病気だけを相手にするのではなく、患者の生活まで配慮のできる全人的な対応が望まれるのです。

 高齢舎は加齢とともにいろいろな症状が出ます。そのたびに専門医の診察を受けると次第に薬剤の数量が増えます。中には十種類以上になっている人もいます。医療側も「患者に人生をどう全うしていただくか」の配慮が求められます。

(C)Copyright 1999-2017 Tannisho ni kiku kai. All right reserved.