「今を生きる」第339回   大分合同新聞 平成30年7月2日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(166)
 私事ですが、約2カ月前から左肩の鈍い痛みと左腕のジンジンとするしびれを時々感じるようになりました。知り合いの専門医に診察してもらうと首の神経が原因の「頚椎症性神経根症」の可能性が高いと診断されました。あるものを左手で押さえつける動作を繰り返したために起こった症状のような気がします。
 頚椎症性神経根症をインターネットで調べてみると、「加齢で頸椎と頸椎の間にあり、クッションの役割がある椎間板に変形などが生じ、脊髄から分かれて腕につながる神経が圧迫、刺激されて起こる」と説明されていました。パソコンの画面などを首を上げて見る動作も原因になることがあるそうです。
 私もパソコン操作の度に左肩の重苦しさとしびれ感が出てきます。椅子を高くしてパソコンを見下ろす姿勢にしたところ、症状が軽くなったので、首を後ろに屈させる動作が症状を誘発することが理解できました。
 診断を受けるまでは、自分の中で可能性のあるさまざまな病名を考えて、心配や不安が頭をよぎりました。症状が良くなっていなくても原因が分かると不安は小さくなります。そして体調の良いこと、異常のないことを当たり前、当然と考え、そのありがたさを忘れていたことをつくづく痛感させられました。
 仏教者の言葉に「罪とは、豊かな一日を当たり前のように虚しく過ごしてしまう事だ」というのがあります。これは、物事の全体像をあるがままに冷静に見る視点、それは表面的に見て当たり前にしてしまうのではなく、その背後に宿されている意味(有ること難し・ありがたい)をも感得できる仏の智慧の視点が大切だということです。
 1979年、32歳の若さがんで亡くなった富山県の医師井村和清さんは、娘に送った手記「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」の中で、「がんの告知を受けて病院から外に出た時、周りの風景が輝いて見えた」と書いています。「納棺夫日記」の著者青木新門さんは「生と死が限りなく近づくか、生者が死を100パーセント受け入れたとき、あらゆるものが輝いてみえる一瞬があるのではないかと思うようになった」と書いています。仏教の智慧に通じる視点ではないかと思われます。

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