「今を生きる」第340回 大分合同新聞 平成30年7月23日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(167)
医療現場では最近、総合診療医と呼ばれる医師が出て来ています。それは臓器別の専門分野の垣根を超えて「総合的」「包括的」な医療を行う診療医です。
「なんでも診ます」というジェネラリスト(総合医)で、人間の体を総合的に診て診察する「知識と技能」を習得している人たちです。
一方、専門医は狭い範囲を集中的に詳しく診察する医師です。日本の医療制度は総合医と専門医の二つの視点で、患者さんを的確に診察しようという仕組みになろうとしているのです。
病気を診るだけではなく、患者の身体や心理、社会的立場などあらゆる角度から判断種する(全人的な)診察が理想ですが、医師国家試験に合格するための知識量は私の卒業した約40年前の数倍だと聞いています。医師として十分な知識に加えて、人間的な配慮(宗教的配慮も含めて)まで求めるのは無理なことかもしれません。
しかし、「師」という名称の付く職種には、そういうことに配慮のできる人間性が求められるのではないでしょうか。
自分に出来ない領域のあることに気付き、謙虚になり、その分野をできる職種の人たちとチームを組んで対応することが望まれます。
以前、本紙夕刊連載の「灯」の欄に「医者の傲慢、僧侶の怠慢」というジャーナリストの書いたエッセ―がありました。
それは、医師は身体的な病気を診る専門家であるが「患者への全人的配慮に欠ける傾向がある」、僧侶は「生きた人間を相手にせず死後だけ(葬式、法要等)に関わっている」といった内容だと記憶しています。
お互いに分際を知って謙虚になり、人間の「生老病死」の四苦の課題を共有していると自覚して、専門性を深めると同時に全人的に対応できるようチームを組んで苦悩する人間を救う取り組みを実現して欲しいものです。
日本でも6年前から臨床宗教師の養成が始りました。これは医療界、宗教界に画期的なことであると受け止めています。
しかし、世界の医療と宗教の関係性を見てみると、先進国の中で日本だけが宗教性を排除した医療を長年行ってきたことに驚かされきます。
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