「今を生きる」第346回   大分合同新聞 平成30年10月22日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(173)
 剣道、茶道、弓道、など「道」の付くものは仏教、仏道にも通じていると思います。仏教を「悟ろう」とか、試合に「勝とう」という意識は自己流で不自然な在り方になる傾向があり、かえって正しい方向に進むのを邪魔することになります。上達しようと思えば、その道に通じた人から指導を受けることが、執(とら)われや煩悩(欲の心)に振り回されることが少ない方法だと思います。
 「道」という言葉が付くスポーツに限りませんが、上達する方法は基本練習をしっかりして技を身につけることです。そうすることで反射的に自然と無駄なく体が反応するようになっていくのです。
 勝ちたいとか、褒(ほ)められたいと意識すると、逆に不自然な動きとなってうまくいかなくなります。自我意識の中に潜む煩悩が私たちの行動を恣意的なものにして、存分に力を発揮できなくするのです。仏教は自我意識を迷いの元としています。
 仏教のご縁で知り合った親の世代の方ですが、剣道に熱心な知人がいます。その方は、なかなか八段への昇段試験に合格できなかったのですが、仏教を学び、お念仏の心が受け取れるようになったら八段になれたそうです。その方は「後輩には剣道が強くなりたいならば仏教の話を聞いてみなさいと勧めています」と言われていました。
 私たちの分別は「我思う故に我あり」という理知分別尊重する考えを全面的に信頼しています。確かに、この思考によって現代文明は大きく発展をしました。その恩恵を私たちは日常生活で享受しています。しかし、人間を傷つける兵器や公害による、環境汚染などの問題を抱え込んで、人間中心主義(ヒューマニズム)の短所も露呈しています。
 自我意識の問題点を強く指摘するのが仏教です。自分が頼りにしている自我意識の問題点に自分で気付くことは難しいと思われます。問題点に気付いて目覚めることを「悟り」といい、仏の智慧を頂くというのです。分別を超えた異質なもの(仏の世界)に触れて、絶対と思っていた自我意識が相対化されます。そして自我意識の長所短所を知らされて、柔軟性のある世界観、人生観に導かれるのです。

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