「今を生きる」第350回   大分合同新聞 平成30年12月24日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(177)
 仏教がいう「悟り」や「目覚め」というのは、世間の常識の世界に生きる者(私を含め)の思考は目覚めていない、智慧がない、暗い(無明)世界だと言っているのでしょう。仏教の世界は私達の常識とは異質な世界なのです。
 しかし、その悟りの智慧に触れてみると、物事をあるがままに受けとめているのが仏の智慧の視点だと分かります。私たちの理知分別は狭い世界しか見ておらず、それは表面的で局所的、短期的であると知らされるのです。
 このような話をしますと、人間も物理学などの学問を駆使して、宇宙の誕生や地球誕生、生物の誕生など長期的視点で解明に挑戦していると反論されるかもしれません。確かに、物理的な宇宙の全体像は少しずつ解明されています。
 考えてみますと、山や木は物質からできていて、それを見る目や脳神経も物質による集合体です。物質と物質の対面で眼識(見ているという意識)が起こるのですが、物と物からどうして意識が生じるのでしょうか。現在でも、意識の謎の解明はほとんど手付かずのまま残っているのです。
 僧侶で精神科医師をしてきた80才を超えた先輩が「今まで精神科の仕事をしてきましたが、脳のことはまだほとんど分かっていないのです。そして脳の病気や治療も十分に分かっていないのです。私は患者の話を聞くことだけをしてきました」と謙虚に言われていました。私には専門外の領域ですが、「そうなのか」と驚いたことを覚えています。
 宇宙の歴史や生命の歴史、文明史などを考えている私の意識とは何なのか。私たちの外の世界について知ろうと、さまざまな学問体系をつくり上げ、知見を増やしています。哲学や医学は「人間」を対象にして、心を含む身体の全体像に迫ろうと人間の叡智を総動員して取り組んでいます。
 ある研究者は「人間の生命現象を研究すればすると程、未知なる領域が拡がっていった」と述べていました。「人間とは」「人生とは」の全体像に迫るには、科学的知見と仏教の智慧の両方の視点で謙虚に学んでゆくことも大事なのではないでしょうか。

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