「今を生きる」第355回 大分合同新聞 平成31年3月18日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(182)
「仏に成ること(成仏)」とは、地獄・餓鬼・畜生の世界を出て人間になり、そしてさらに成熟した人間になることと受け止めたらどうでしょうか。仏教は「人間になるとはどういうことか」を教えます。仏教に触れなければ、成仏する以前に自分にも成れないまま、愚痴を言うばかりで人生が終わってしまいます。
読者の中には「私はすでに私になっている。仏教などいらんお世話だ」と思っている方もいるでしょう。そういう人も自分の人生を振り返り、「あっという間にこの年になった。私の人生は何だったのか……」と思うことはありませんか。
ある医師は末期癌の40歳代女性患者に「先生、私は不自由のない生活をしてきたが、本当に生きたという実感がない」と愚痴のように訴えられたことがあったそうです。その医師はこの経験から「本当に生きるとはどういうことかが、その後の人生の課題になりました」と言われています。
私たちは自分の周囲に自分にとって都合の良いもの、プラス価値になるものばかりを集めて幸せな人生を実現しようとします。しかし、プラス価値で満たそうとすればするほど、私の周りのマイナス価値のものが気になり、自分を苦しめ悩ませます。最後は避けられない老病死に直面して「どうして私が」と悲嘆に暮れ、そのことが受け取れません。
仏教学者は、この世間的な発想を、「仏教無視の虚無主義・快楽主義・個人主義を生きている」と指摘し、断じています。それは「私の人生は一回だけで、死んだら終わり。だから、生きているうちに、楽しいこと、心地よいことをするしかない。利用できるモノは何でも利用してプラス価値を集めて、私だけが幸せになることが、人生の目的である」という考えです。
私は仏教の智慧に触れて、人間の「間」の意味を強く感じるようになりました。「間」とは、間柄を生きる存在だという意味です。それがなければ真空パックの中にいるのと同じです。人間は一人では生きていけないのです。
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