「今を生きる」第360回 大分合同新聞 令和1年6月17日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(187)
2,3歳の子どもの前にお菓子を置いて「明日食べようね」と言っても「今、食べたい」と泣いてしまいます。まだ、明日という概念がないのです。5,6歳になれば、「明日、楽しい所に連れて行ってあげる」と伝えると、喜んで私の言うことを聞くでしょう。年齢とともに未来を見通す知恵がつくのです。
老後を考えることができるのは、明日や未来を考える知恵があるからです。それは、過去についても同じようなことが言えます。今、私が苦しみに直面しているのは、その原因が過去にあるということが分かります。
仏教では、物事は大きな原因である「因」と、小さな原因の「縁」が和合して起こる「業」と考えます。ある条件がそろって、と理解すると受け取りやすいかもしれません。その結果(果)は、必ず周りに影響(報)を及ぼします。
今、悩みや苦しみがあるということは、原因(因・縁)は過去にあったということです。その結果としての苦悩は、必ず次なる行動(怒りや対処)や思案を引き起こすことになります。それらの事象は、仏教で言う「縁起の法(因縁業果報)」に沿っています。
私が人間として生まれたということは、37億年の生命の連鎖の中で、人類(ホモサピエンス)20万年の歴史の最先端として、両親のもとに生まれてきたのです。もちろん、これも過去と密接な関係があるのです。
現在の私は多くの因や縁が和合して、集合体としての私が現象のように存在しています。遺伝子の中に基本の設計や法則が情報化されており、種々の材料になる成分が集められて先天的、後天的な因縁和合をして、生滅を繰り返す動的な生命体の私があらしめられています。
見た目には変化は分かりませんが、身体の内部では常に分子、細胞レベルで変化を重ねながら存在しているというのが、今を生きている私の実態です。これを仏教では「無常」と言います。本来、壊れるはずの細胞を前もって自分で壊し、それを再合成をして生命を維持しているのです。
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