「今を生きる」第363回   大分合同新聞 令和元年8月5日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(190)
 ある僧侶のお話です。彼は寺の長男として生れました。しかし、母親は3歳の時に肺炎で亡くなります。その後、父は再婚し、継母に育てられていたが、小学校3年の時に父親も病死。3才での離別だったとはいえ、継母が実の母親ではないと分かっていて、どうしても馴染めなかったそうです。
 寺の跡継ぎとして、祖母と継母からは厳しく育てられました。門徒総代らが世話を焼いてくれましたが、宗門の大学以外への進学は許してもらえませんでした。大学に進み、部活動には熱心に取り組んでも、仏教の勉強はあまりしなかったそうです。卒業後、すぐ帰郷し、住職になりました。
 両親が早世したため、親のない子としてさまざまな苦労を重ね、両親や自分の境遇をずっと恨んでいたそうです。
 住職を務めるのも仕方なくでしたが、25歳を過ぎた頃、ある研修会でよき師と巡り合い、学ぶことに刺激を受けます。「この人について勉強しよう」という気持ちになり、それから10年ほど、受験勉強のように励んで仏教を学んだといいます。
 そこで善導大師の「観経疏(しょ)」を読み、「自の業識(ごっしき)をもって内因となし、父母の煙撃もって外縁となす。因縁和合するが故にこの身あり」という一文に出合いました。私たちがこの世に生まれ出ようとする時は、自分の意志で生まれたいと願い、父と母になる人を縁として誕生する。自分の意志が根本にあり、両親はきっかけにすぎない、という意味です。
 それまでは自分のことを被害者のように感じていたけれど、決してそうではなく、自分の意志で生まれてきたと考えられるようになり、両親への長年の恨みは霧が晴れるようになくなりました。
 実母がなくなる際、姉に「ごめんね」という言葉を最後に残したことを後に聞かされ、幼い子供を残して死んでいかなければならない母はどんなに無念であったろうと思うになったといます。
 智慧から知らされる物語であり、両親にたいする恨みから、むしろ相手をおもんばかる大きな展開が起こっているのです。

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