「今を生きる」第370回   大分合同新聞 令和1年11月18日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(197)
 「苦悩」はどこから起こってくるのか…。このことを考える場合、確認しておきたいことがあります。誰もが疑いなく認めるのは「『私』は『今』、『ここ』を生きている」という事実です。
 鳥や猫といった自我意識のない動物はあるがままの事実を生きています。過去を後悔したり、未来を心配したりすることなく、まさに「ここ」で「今」を「あるがまま」に生きているのです。
 一方、自我意識が発達した人間はあるがままを生きているように思われがちですが、実際は自分の「思い」や「解釈」の中で生きているのです。今を生きる私の「現実」と、その現実に対する「思い」や「解釈」との間に乖離(かいり)がなければ、そもそも苦しむということはありません。
 現代人には自己中心の「思い」があり、自分にとって好ましいことだけを追い求め、都合の悪いことはできるだけ避ける傾向にあるようです。そして、自我意識の(自分の)都合で物事を見ようとして、結果的に「あるがまま」の姿が見えなくなっています。
 仏教(宗教)には超越的で異質な存在(仏の智慧)に出会うことによって、自己を相対化させる働きがあります。いろいろな思いに執着していた事実や、異なる視点で物事を受け止め、違いがあることを気付されるのです。しかし、日本人の多くは仏教への接点や正しい理解のないまま成人していくので、「自我意識の絶対化」が進んでいるように思われます。
 科学技術の進歩に伴い、これまで制御できなかったものを人間がコントロールできるようになると、自我意識の絶対化がさらに進みます。まるで万能のような感覚から「自己中心の心」が生まれ、かえって人間を苦しめかねない恐れがあります。
 医療によって老・病・死の苦を制御して先送りしたとしても、「死」の現実は避けられません。そこに、この世の思考を超えた仏教の出番があるのです。

(C)Copyright 1999-2017 Tannisho ni kiku kai. All right reserved.