「今を生きる」第373回   大分合同新聞 令和2年1月27日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(200)
 日本人の平均寿命は女性が87・32歳、男性は81・25歳(いずれも2018年)ですが、死亡原因のトップは相変わらずがんです。日本人の二人に一人はがんを発症して、三人に一人はがんで亡くなっています。
 この30数年の間に、がん治療は大きく進歩しました。進行がんのため治療の道が閉ざされても、肉体的な苦痛には薬剤で対応できるようになりました。これは患者、そして医療に従事する者にとって大きな福音となっています。
 しかし、これは臨床の現場で経験してきたことですが、がん患者の中には身に迫る「老病死」を受容できず、自らの思いをコントロールすることもままならずに、さまざまな反応を示す人がいます。
 人間が「老病死」などのマイナス要因を受容することは難しいことです。私自身も死に直面した時、縁次第でどのような振る舞いをするか分かりません。
 仏教において、死を巡る教えは「老病死の苦を超える道」と伝えられてきました。そこで、「死」を怖がるという「思い」について少し考えて見たいと思います。
 私は、本当に怖いのは死ではないと考えています。尊敬する宗教者から「人間は死が怖ろしいのではない。がんを宣告されて自死する人がいますが、本当に死が怖ければ自分から死んだりしないでしょう」と言われたこともあります。自我(意識)が漠然と死を怖いものと思っているのではないでしょうか。
 自我というものは、理性、知性、身体、知識、体力、財力、社会的地位、自分への評判、資格、名誉―といった「属性」(私を私たらしめている性質)をよりどころに、これらを支えとなる杖(つえ)のようにして世間を生きています。
 だから、死によって杖が壊れることが怖いのです。自我は自分自身が壊れない方法を考え抜いた挙げ句に、自死してでも意識を守り抜こうとするのです。

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