「今を生きる」第378回   大分合同新聞 令和2年4月20日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(204)
 仏教に出会う以前の自分の思考は戦後の教育もあり、「見聞を広め、物事を合理的に考え、幸福を追求し、できることなら苦の少ない楽な人生を生きていく」という方向性の思考だったと思います。
 自分にとって都合がいい思考や、心に潜む欲も当然と捉え、それを理性で管理することで良き社会人なろうとしていました。理性的思考や心に潜む煩悩性を問うような発想は全くありませんでした。
 仏教に出遇い、仏の光(仏の智慧、悟りの内容)に照らされて、自分が当たり前に考えてきた思考の執われや迷いの姿に気付かされました。仏教に縁がなければ、人生の行き着くところは空過と孤独だったと思います。いくら長生きしても日々の生活に不足・不満を感じ、「明日こそ幸せになりたい」などと将来を夢見る生き方は「空過」(生きてきた実感を伴わない虚しさ)でしょう。
 がんが進行して医療相談を受けた友人に痛みの緩和ケアを勧めたところ、「明るい未来が見えないことがいたたまれないんだ」と本音を吐露されたことがあります。明るい未来の夢こそ生きるよりどころというのです。
 願い事がかなって有頂天になっても、それを持続させるのは至難の業です。「天人五衰」……。天国の住人は必ず衰えて天国から落ちてしまう、と仏教は教えます。天国といえども迷いの世界であり、天国から落ちる苦しみは地獄の16倍とされています。
 人間の心のありようを六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)輪廻と表現します。どの状態も苦に結びつくのですが、仏が「人生苦なり」と示すように、普通の思考では苦の悪循環から免れることはできません。
 仏教では、苦の元凶が「思い通りにしたい(管理支配)という思考にある」と見抜き、その生死勤苦(ごんく)(迷い、苦しみに縛られ悩んでいる苦)の本(もと)を抜く仏の智慧の世界に導こうとするのです。

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