「今を生きる」第381回   大分合同新聞 令和2年6月1日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(207)
 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「人間は誰から教えてもらったわけではないが、みんな仕合わせになりたいと思って生きている」と言ったそうです。
 一般的には「幸せ」と表しますが、広辞苑には「仕合わせ」と載っています。語源を調べると、「仕えるべきものに出合う」という意味があるようです。
 私たちは常日頃、仕えているものは何か。それは煩悩(欲)ではないでしょうか。私たちは欲を満たすことに満足を感じています。そして欲に振り回され、結果として苦痛を味わっていませんか。ストレス解消のためにゴルフを始めた知人がいますが、「最近は上達したい気持ちが別のストレスになっている」と言っていました。
 仏教を学んでみて、「仕えるべきもの」とは仏様(仏の智慧)ではないかと思うようになりました。
 仏教の智慧を真理、真実という事があります。仏教における真実とは、仏様の智慧をいただくことによって空しく過ぎたであろう人生が実りあるものに転じた時、「真なるものが実になった」として真実の教えを受け取れるということです。
 仏の教えがない人生には「空過」と「孤独」が潜在的な問題として常に存在し、時にそれが露呈します。
 仏教の先輩ががんを患った時、師に宛てた手紙にこう記しています。
 「お念仏、南無阿弥陀仏をいただいた故に生きることが出来、お念仏をいただいた故に死んで行けます。もし、お念仏にお遇いしてなかったなら、今ごろこのベッドの上でのたうちまわっていると思います。肉体的には大変きついです。でも、心は平安です。先生を通して沢山のお同朋をいただき、にぎやかです。先生、本当に素晴らしい人生を賜りまして有難うございました。最後の一呼吸までは生きるための努力を続けます。」
 仏智に出合って空過・流転を超えたと受けとめておられるのだと思います。

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