「今を生きる」第382回   大分合同新聞 令和2年6月22日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(208)
 合同指原あずさの初交信
 「よい生活はしてきたけれど、本当に生きたことがない」。米国の精神科医、エリザベス・キューブラー・ロス(1926-2004年)は、緩和ケアの仕事で出会った患者からそんな訴えを聞きました。それ以来「本当に生きるとは何か」と追及することが彼女の大きなテーマになったそうです。
 18世紀のドイツの哲学者フィヒテは「死はない。死はどこにあるかといえば、本当の『生』を見ることができない人間の死んだ目の中にあるだけである。したがって『人間は死ぬ』と言っている人は、本当に生きていない人で初めから死んでいる人だ」と言っています。
 真剣に明るく生きていたら、心も成長して未練などなくなります。未練はまだやり終えていない、まだ満足してない人の感覚です。一瞬ごとを真剣に生きた人は、どんな楽しいことが途中で終わっても「あっそう、時間切れですか、じゃあね」という感じで、さばさばと人生を終わるのです。全てを今一回限りの出来事だと受け取って、真剣に生き生きと取り組まなければいけない、ということです。
 われわれは仏の智慧をいただくことで、「宿命を転じて使命に生きるという展開が起こる」と教えていただいています。自分の置かれた境遇、状況を、欲まみれの分別でいろいろ計算するのではなく、「これが私の引き受けるべき現実」と受け止めます。その上で周囲との関係性の中で支えられ、生かされ、教えられ、鍛えられ、育てられることで、粛々と念仏して自分の役割を果たす。これが「自由」です。自分のあるがままの姿をあるがままに見て、「自らに由(よ)る」ということです。
 禅の言葉に「身心脱落」というのがあります。「これが私」といったこだわりや「私という存在がある」とのとらわれを手放せば身も心も軽くなることを意味します。それで本当に生きる道に導かれるというのです。

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