「今を生きる」第389回   大分合同新聞 令和2年10月26日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(215)
 明るい未来の実現を夢見て「今を生きる」ことは、少々の苦労や困難があっても、それを背負って生きるところに喜びがあります。しかし、人生においては必ずしも順境ばかりではありません。大学の研究者の道を歩まれた尊敬する先輩が「私の30代は砂漠の中を一人、とぼとぼと歩くような生活だった」と言われました。研究者には、必ずしも明るい未来が見えないという厳しさがあります。
 私たちが歩く人生には、明るい未来が見えているでしょうか。今回の新型コロナウイルス感染症は老病死を身近に感じさせますが、普段の生活では解決の方法のない老病死を見ないように、考えないようにして生活しています。
 90歳を超えた男性が頸椎損傷で四肢麻痺になって入院しています。頭はしっかりとして、リハビリでもう一度歩けるようになって奥さんと一緒に台湾旅行に行きたいと言われています。しかし、医学的に見てそれは不可能だと思われます。これは、まさに老病死の現実に直面しているのです。この患者さんは老病死を受容するという発想は全くありません。それは「諦め」になり、人生の敗北だと思っているからです。
 頚髄脊損によって四肢麻痺となり、その後キリスト教によって救われた星野富弘さんは口に筆をくわえて絵を描かれています、その絵に「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった いのちよりもたいせつなものがあると知った日 生きているのが嬉(うれ)しかった」という自分の言葉を添えています。
 日常の生活では、幸せになるためのプラス要因を増やして、マイナス要因を減らすことが当然だと思って生きています。しかし、この老病死は幸せのためにはマイナス要因ですから、それを受容することが難しいのです。臨床の現場で高齢者から発せられる言葉は、まさに愚痴になっていることが多いのです。その中で、星野さんは四肢麻痺という障害を受け止めて逞(たくま)しく生きておられます。
 「生死の四苦を超えよ」と言っている仏教は、どのように超えていく道を教えているのでしょうか。

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