「今を生きる」第392回 大分合同新聞 令和2年12月21日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(218)
二十数年前、母校で医学部新入生に医学入門の一コマを担当していたことがありました。講義の後、教育担当教授が学生に「皆さんは命だけは大事にして下さい」、次いで「一人の医師を育てるのに国民の税金より5千万円かけていますからね」と言われたことが印象に残っています。
今から60年以上前の米国の名門大学医学部の卒業式で、医学部長が医学生を教育する総コストに対して授業料は「七分の一以下」と概算し、医学生は大きな利益を享受していると指摘して次のように語っています。
「このような計算は、医師に託したその厚い信義に対して、いつかは諸君が報いてくれるであろうと期待していた人々に、深く頭をたれて感謝の意を表するのもまた当然であることを思わせるに十分であろう」。 そして「いわば諸君は賭けられているのだ」とした上で、「諸君は必ずや自分が受け取ったものを、後に社会へ引き渡す立派な医師であることに多くの人々が賭けているのであるから、どうか諸君、下世話にいう『馬に賭けても人に賭けるな』の実例にならぬように十分に心掛けていただきたいのである」と呼び掛けました。
医師を養成する大学の卒業式で「馬より劣る人間になるな」と言っているわけです。
私自身、40歳ごろ新任地に赴任した時、仏教の師からのお手紙の一節に「あなたがしかるべき場所で、しかるべき役割を演ずるということは、今までお育て頂いたことへの報恩行です」という言葉があり、自分の利益だけしか考えていなかったと思いました。これを仏教では餓鬼といいます。間柄に支えられた存在、人間になれてなかった。私になされたご苦労を知る心を全く考慮してない、忘恩の存在であることを指摘されて、「参ったな、南無阿弥陀仏」と懺悔したことがありました。
仏教は(心が)地獄・餓鬼・畜生の状態を脱して人間になり、そして人間として成長・成熟して菩薩・仏(自利利他円満)になる道を教えているのです。
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