「今を生きる」第396回   大分合同新聞 令和3年3月1日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(222)
 社会や医療において、これまでも人間が感じる「よい状態」を増やして行こうという取り組みがなされてきました。今後も、これまで以上に取り組んでいかなければなりませんが、量的な取り組みだけで事足りるとするいき方には問題もあります。
 尊敬する仏教者が「現代の日本人はニヒリズム(虚無主義)と特に戦後は経済中心主義を生きている」と指摘していました。
 ニヒリズムとは、今生きている世界(特に過去および現在における人間の存在)には理解できるような真理や意義、本質的な価値などがないと主張する哲学的な見地です。経済中心主義とは、日々の生活が経済のために働き、経済のために戦うというような生き方を示しています。それは資本主義でも共産主義の社会でも同じです。経済中心のイズム、経済至上主義だということです。
 定年退職した人や事業を次の世代に譲ったような人は時間的な余裕はできますが、それまでの地位や収入を失った時、大きな精神的な空白が生じるようです。その時、ニヒリズムと経済中心の関心事だけで生きてきたという思いに襲われるかも知れません。
 仏教用語に名利(みょうり)という言葉があります、名誉や利益ということですが、それを求めることも含まれます。仏教では「名聞」(みょうもん、世間での評判や名声を気にすること)、「利養」(りよう、利をもって自分の身を養うこと、利益を得ること)を略した語として用いられます。失ってみて初めて、それが自分の生き方において大きな地位を占めていたことが実感できるというのです。
 仏教では心の在り様を六つの言葉(六道)で表現します、六道とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天です。そしてその六道の迷いを超えること、すなわち解脱を教えているのです。餓鬼は人間のむさぼりの心、常に満たされない在り方を示します。その欲望を自分の外のものである財物、肩書、愛などで満たそうとしている相(すがた)を餓鬼というのです。外のもので自分を満たそうとすることによって、ますます本来の自分自身を失っていく在り方になると教えています。
 むさぼりの心を満たそうといくら追い求めても、一時的な満足はあっても、決して心から満たされることはないといいます。ただ別の見方をすれば、それは迷いを繰り返していることに気付き始めているのかもしれません。

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