「今を生きる」第397回   大分合同新聞 令和3年3月22日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(223)
 慶応義塾大大学院の前野隆司教授の幸福についての調査・研究では「良い状態」を感じる「幸せの心的要因」は@やってみようとする「自己実現と成長の因子」、(2)つながりと感謝の因子で「ありがとう因子」B何とかなると考える「前向きと楽観の因子」C「独立と自分らしさの因子」であると言っています。
 「つながりに」について言えば、現在は新型コロナウイルス騒動で三密を避けるために、お互いに距離的にも親しい関係性を避ける生活を余儀なくされています。しかし、仏教では、いかなるものも無関係なものはないことを「身土不二」といいます。不二とは、切り離せない一体の関係といういみです。私という存在は時間的・空間的に無量の因や縁(関係性)によって生かされ、支えられ、教えられ、願われており、切り離せません。それは、相手を物や道具に見る、私―それの「三人称」の関係ではなく、血の通った、私―あなたの「二人称」の関係だと教えるのです。「渡る世間は鬼ばかり」というのではなく「渡る世間は(二人称の)菩薩ばかり」と見るのです。
 私たちは周りの事象を自分とは切り離して傍観者の視点向こう側に見て、善悪や損得、勝ち負けで計算をして生きています。そうではなくて、好き嫌いやむさぼりの心、怒りの感情に振り回されないで、この人、この出来事は私に何を教えよう、気付かせようとしているのかと受け止めるのです。
 この受けとめができるようになるためには、自分の考えが狭い視点に立っていることを仏の智慧によって知らされ、拠り所にしている分別が妄想、煩悩に汚染されていると気付かされて自我意識が破られることが大切です。現代人は自分の思考に自信を持っていて、仏の智慧の視点を教えられても、それを知識として取り込み博学になるだけで、光に照らされて自分自身の相(すがた)に驚くような目覚めや感動がないことが多いのです。
 鎌倉時代に曹洞宗を日本に伝えた道元禅師が「仏道を習うとは自己を習うなり」と言われているように、自分の相を仏の智慧で言い当てられて驚くような、目からウロコが落ちるというような身のうなずきが大切です。私になされたご配慮、ご苦労を知り、私と周囲の関係を再認識させられると、本来のつながりに感謝せずにおれない深さ、広さ、温かさを感得するでしょう。

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