「今を生きる」第400回 大分合同新聞 令和3年5月3日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(226)
幸福のつながりと感謝の「ありがとう因子」に関係する事例です。
お寺では仏花を生けることがあるのですが、あるご住職が生け花の教室に初めて参加した時のことです。生け花の師匠が、彼に教材の枝と花を与えました。与えられた教材のうち自分で良いと思うものを選んで、初めて花を生けてみました。苦労しましたが良いと思う枝や花を選んで、役に立たないと思うものは捨てて何とか完成したそうです。生徒全員の作品が出来上がると、師匠が一つ一つ指導してくれます。彼は師匠が来られた時、「どうにかできましたが、残念ながら良い材料を見つけることができませんでした」と言ったそうです。すると師匠はゴミ箱から彼の捨てた教材を拾い上げて、それらを使って即座に美しい花を生けたそうです。自分の捨てた素材によって生けられた作品を見て、彼はびっくりさせられたと言っていました。
このエピソードは、まさに仏の智慧(仏智)について教えてくれています。私たちの分別は良い悪い、有益無益、好き嫌いなどで判断します。分別に自信のある人、すなわち仏教の異質な世界を知らない人は、あることには有益だと考えたら、その反対のものは無益だと考えて捨ててしまうでしょう。しかし仏智を合わせ持つ人は、分別で無用と考えたものや、あらゆることの中に意味を見いだすことができるでしょう。仏智があるということは、全ての事象に先入観を交えず密接な関係性があることを知っているということです。
それぞれの枝や花が普遍的な意味や価値を持っているのではありません。対象に意味や価値があるかどうかを決定するのは私たちの心であり智慧です。謙虚な求道者は仏智に触れた柔軟な心によって、人生で出会う事象や経験に新しい意味を発見し続けます。
いわゆる現役を終えた世代の人たちも、その後の人生は決して余生ではなく、智慧によって得られる知足(満足)を感じながら、菩薩のように全ての物事の中に無限の意味を見いだす学びで「つながりと感謝の因子」の増す人生でありたいものです。
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