「今を生きる」第405回 大分合同新聞 令和3年7月26日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(231)
現代日本の教育は物事を合理的に思考する人間を育てようとしています。合理的思考は社会を生きるために大切な考え方です。医師、看護師なども、その職責を果たすために必要な知識・技術・合理的思考を国の試験で確認されて基準に達しているとして認定資格を得ています。新型コロナウイルス対策でも合理的に考え行動することは大切だと思います。
この思考は「私」を中心にして外の事象を観察して得られる知識をまとめて、専門的な仕事ができるように組み立てられています。しかし、私たちの思考は外界を見るというもので、自分を見るという視点が弱い傾向にあります。それなのに自分のことは自分が一番よく知っていると自信を持っています。確かに、心がコロコロ変化する動きは自分が一番よく分かると思います。その自分の心も「自分が一番良く分かっている」というところで止まって、それ以上、深く広くは考えずに外の事象にばかり目が向いてしまっています。
医療相談と生き方相談を受けた時の対話の中で、患者さんが「私は今まで周りの状況に流されて生きてきた。だらだらと生きてきて、自分の意志で生きたという気がしません」と言われました。それに対して私は「仏教では、人生とは取り返しのつかない決断の連続であるという受け止めをします。あなたは今まで置かれた状況の中で、自分では考えたという思いはないかも知れないが、いろいろ考えながら、その時、その場で状況を考えて51%でも『善かれ』という方向に決断してきたでしょう。悪いという方向を選んで生きてこられたのですか」と聞いたことがあります。
「あなたの性格が優柔不断な心や弱い意志であっても、その状況に応じて方向を、その時、その時に決めて行動して生きてきたと思いますよ」とお話しました。
心や意志の強さ弱さは人それぞれでしょうが、何らかの行動を起こしたのは決断の結果です。人間は反省をしますが、自分を深く見つめるという視点が弱い傾向にあります。仏教では仏の智慧(無量光)に照らされて自分を身につまされて見る、内観ということを大切にしています。思考や行動の原点の「私」というものをはっきりさせないと自分の思考や行動が浮ついたり、無責任になります。
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