「今を生きる」第408回 大分合同新聞 令和3年9月20日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(234)
大分大学医学部医学科と看護学科160名を対象にした入学時の健康科学概論講義の一コマを毎年担当しています。「人間の苦悩にどう対応するか」という趣旨の講題で、医療と仏教の協働というテーマの講義をしています。講義の後、学生たちから「仏教の講義を初めて聞いた」「医学と仏教が同じ生老病死の四苦に取り組んでいると初めて知った」、などの感想がありました。
26年前のオウム真理教によるサリン事件では、高学歴の人たちによる凶悪犯罪に驚かされました。その後も宗教がらみの事件はマスメデイアでよく目にします。宗教教育に接点がないままに大学生になった人には「宗教は怖い」というイメージを持っている人も多いようです。
私が大学生になった時も宗教に関しての知識はほとんどありませんでした。剣道部の友人が入寮していたことと、医学部と法学部の先輩がボランティア活動をしていて、その手伝いをする学生は部屋代がタダということに引かれて「仏教青年会」の寮に入りました。一宗一派にとらわれず、広く仏教の教理を会得することを目標にして、インド哲学の教授が指導・監督をするという組織です。毎週一回早朝に般若心経を唱和する勤行、寮の掃除、月一回の仏教教理の勉強会などが宗教的活動でした。
多くの会員は同じ釜の飯を食うという寮生活を楽しむことが主な目的で、仏教の学びはお付き合い程度という人がほとんどでした。しかし、私は会の学生総務を担当していたので否応なく仏教への縁が深まり、人生の方向性を決定するような貴重な学びの機会に巡り合うことができました。この幸運に感謝せずにはいられません。
その経験から思うことは、気付き、目覚め、悟りを教える普遍的宗教は存在しており、私たちは時代、地域、社会を超えて広がった世界宗教を見極める目を持つことが大切だということです。
人間を「欲望する存在」と受けとめるとき、普遍的宗教というのは、欲望の満足ではなく「存在の満足」の目覚めに導くものです。宗教を「偽り(迷わせる)」「仮(真(まこと)に導く)」、「真」と区別することができますが、理知分別でしっかりと見分けて宗教文化の普遍性を学んで欲しいです。医療の世界において患者の人間性、人生の全体に配慮できる能力を培って、自分の分際を見極めながらチーム医療で患者の苦悩に寄り添える医療人になるってくれることを願うばかりです。
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