「今を生きる」第409回 大分合同新聞 令和3年10月4日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(235)
新型コロナウイルス感染症は全世界を不安、怖れ、苦悩に巻き込んでいます。想定外の対応が求められ、戦後の世代が経験してない戦争と同じ非常事態を思わせます。
ベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」で有名な渡辺和子(1927−2016)はキリスト教の精神でこの本を書いています。その中で私たちが思いがけない事態で感じる心の動揺は、今まで当たり前だと思って当然としていたことに隙間が開き、そこから冷たい風が入り込み「ヒヤッと」感じているようなものだと言われています。その開いた穴を塞ぐことも必要だが、その隙間から見えてくるものをじっくり観察して考えることが大事だというのです。
その穴は現実的には感染症を含む「病気」「他人とのもめごと」「災害」「事件」「大切な人の死」「事業の失敗」「願い事かなわず」などです。彼女自身も「多くの穴を経験した。いや穴だらけの人生であった」と書かれています。世間的には穴を塞(ふさ)ぐことに追われますが、宗教的にはその穴から見えるものを思索し、普段の思考では気づかなかった多くの学びをするのです。穴から見える二つのことを具体的に紹介します。
一つは、戦後順調に伸びていた平均寿命ですが昨年も少し伸びて男81.64歳、女87.74歳となりました。死を忘れひとごとにしていた日本人に、コロナ騒動は高齢者が8人に一人が死亡するという事実を突きつけ、人間が死ぬ存在であることを改めて思い知らせる結果となりました。
日頃の分別思考では、幸せな人生を生きるためにプラス価値を増やし、マイナス価値を減らせば「幸福な人生」になると楽天的に思っていました。その発想では「老い」はマイナス、「病気・死」はマイナスという価値観では、死ぬときに「マイナスばかりの不幸の完成で終わる人生」になることを思い知らせることになったのです。この辺りに生死の迷いを超える仏教が求められるゆえんがあります。
もう一つは、仏教関係のカレンダーに「今日もまた幸福求めて四苦八苦」という標語がありました。幸福を求めて生きる「私という存在」は、実は既に与えられている事実があるのに、それらを「当たり前、当然のこと」として見過ごしてしまい、そのことが意識にあがって来ないことが問題であると指摘します。
私たちの分別思考では、人間という存在や人生の全体が見えてこないと仏教は教えているのです。仏教の智慧は「ものの背後に宿されている意味を感得する見方」というもので、物事の全体を広く、深く見透かしています。
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