「今を生きる」第411回   大分合同新聞 令和3年11月22日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(237)
 新型コロナウイルス感染症のまん延は、遠くに見ていた「死」を否応なしに身近に感じさせる事件です。
 仏教を大事にされた元京大医学部教授の東昇氏(1912-1982)が、「人間の尊厳」と題する講演(1976年)の中で「医学・生物学などの科学を基盤とする学問は人間が死に対してどういう態度をとればいいか、その心構えについては何も教えてくれません。死と関係の深い医学においても、人間は死に対してどうあるべきかということは指導してくれません。私たちは死生に即して文明を考える、という余裕をもちたいものです」と言われていました。
 仏教は「死を超える道」を教えています。仏教では、「今、ここ」を大事にして明日はないと言います。そして今、ここに生かされていることに感謝して日々を精いっぱいに生きることができれば、その結果として「死」があっても、それは「仏さんへお任せ」になると教えるのです。ある哲学者が「死ぬ心配をする人は今を生きていない人だ」と言っていました。
 乳がんと闘い24歳の若さで亡くなった女性の実話「余命一か月の花嫁」という本の中で、主人公が「皆さんに明日がくるのは奇蹟です。それを知っているだけで日常は幸せな事だらけで溢れています」
 明日生きているか分からない状況で皆さんに明日がくるのは奇蹟です。それを知っているだけで、日常は幸せなことだらけで溢(あふ)れています」とブログにつづっています。そして、彼女の叔母に「生きてるって奇蹟だよね、いろんな人に支えられて生きているんだよね。もう私、元気になったらすごい人間になれると思うよ」と発言しています。
 生まれて、生きていることの背後にある想像もできないほどの無量の因や縁を仏の智慧で知らされる時、当たり前、当然だと思っていた私の分別思考の愚かさに驚くのです。私たちは生きていることを当たり前のことと考えて、その上で何か面白いこと、楽しいこと、得になることはないかと好奇心で周りをきょろきょろと見渡しているのです。哲学者が、そういうありさまを「市場に群がるハエ」と皮肉を込めて言っています。私たちの分別思考が翻されることが求められているのです。

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