「今を生きる」第412回   大分合同新聞 令和3年12月6日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(238)
 明治時代に東大医学部内科の基礎づくりを指導したドイツのベルツ教授は医学研究ばかりでなく、患者を対象にした「アート」や「文化」にも十分に配慮しながら、約30年に渉って医療界に貢献されました。
 しかし、25年目の頃に「西洋各国は諸君に教師を送ったのでありますが、彼らの使命は科学の樹を育てる人たるべきであり、またそうなろうと思っていたのに、彼らは科学の果実を切り売りする人として取扱われたのでした」と日本人の「科学の精神」を批判しています。「彼らは種をまき、その種から日本で科学の樹がひとりでに生えて大きくなれるようにしようとしたにもかかわらず、日本では今の科学の『成果』のみを彼らから受取ろうとし、その成果をもたらした精神を学ぼうとしないのです」と言われています。
 戦後生まれの私は日本全体が貧しい物不足の中で育ちました。貧しさを抜け出したい、豊かになりたい、楽をしたいと小ざかしく考えて、にわか仕掛けで間に合う理系の計算的思考が好きで、文科系の学びは基礎がなく、努力のしようがないと思い、倫理とか哲学的なことは見向きもせず受験勉強に励んだものです。
 ベルツが明治時代の日本人学生の弱点を述べていますが、まさに私のことのように思われます。
 心掛けの良くない、まさに「市場に群がるハエ」のような私が医師を目指したのですが、想定外の事故・事件にもまれながら、運良く仏教へのご縁に恵まれたのです。仏教・宗教はそれまでの私の計算的思考からいうと異質な世界でした。
 異質な世界に触れて初めて自分の考えは間違いないと絶対化した思考が否応なしに相対化(間違っているかも知れない)されるのです。私の小賢しい計算的な思考や科学に準拠する医学の発想が相対化され、多様性に気付かされるのです。
 ベルツ博士が苦言した西洋的科学思考の背後にある精神性・文化性を学ぼうとしない姿勢は、私自身ことや日本の医学界のこととして反省を迫ってきます。
 世間のモノサシの善悪・損得・勝ち負けを考える分別思考による融通のなさ、心の背後に潜む煩悩性ゆえに迷いを繰り返しているのです。仏教本来の自らに由る(自由・自在)在り方、「私は私で良かった」という人生を歩めなくしているのです。そのことに気付かせるのが仏の智慧の世界です。

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