「今を生きる」第413回   大分合同新聞 令和3年12月27日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(239)
 今年の「死の臨床」研究会の研修会が福岡で開催されました。これは医療者の参加する学問的な研究会で、約40数年の歴史があります。
 この研修会の中に「死生観をともに育む」というテーマのシンポジウムがあり、私も演者として発表しました。死生観とは辞書には「死と生についての考え方」「生き方・死に方についての考え方」と記述があります。
 昭和の時代の医療界では、がんなどの悪性の病気は患者本人に本当の病は告げないという雰囲気が圧倒的でした。それが人権意識の高まりと欧米医学の影響で平成の時代は事実を告げるようになったのです。
 昭和の終わり頃、胃がんの術後再発をきたした仏教学者への関わりを持ちました。この患者は「病気がよくなったら論文や著書を仕上げないといけない」と言うので、家族と相談して真実の病名・病状を告げて仕事に取り組んでもらうことになりました。
 主治医が告知をしたという連絡を受けて病室を訪ねたのですが、入室した瞬間の衝撃は今でも忘れられません。まさに「言葉を失った」のです。外科の責任者として、それまで患者のどんな質問にも対応できる自信を持っていたのに、告知した後は死が予測される患者との対話ができなかったのです。
 それまでは病名を伏せた上の嘘の説明であって、いわば「ごまかしの対話」に自信を持っていたのです。死を前にした患者との対話の訓練など全くできてなかったのです。その時、これは日本の医療界全体の問題だと思いました。平成の30年間が過ぎて「死生観をともにはぐくむ」がテーマになっているのは、医学がよって立つ科学的な思考では「人間の死に対してどうあるべきか」すなわち「死の受容」ということを導き出せないからでしょう。
 患者にがんという病名を告げると、患者は治療の情報では圧倒的に弱い立場を感じ、医療者は豊富な知識・技術を持っているという関係になります。先輩の外科医が胃がんで患者の立場で手術を受ける時、「丸腰の患者と二丁拳銃を持つ医療者」という渡ることの出来ない溝のあることを感じたと言われていました。
 医療現場では死を巡る両者の対等な対話ができる文化・信頼関係が求められます。

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