「今を生きる」第420回   大分合同新聞 令和4年5月2日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(246)
 『金光明経』という経典に、「捨身飼虎(しゃしんしこ)」という話があります。
 虎の親子が飢え死にしそうになっているところに、三人の王子が通り掛かります。一番上の王子が言います。「あの人食虎が死にそうだ。よかった、これで人が助かるだろう」。二番目の王子は「あれは殺した方がいい」と言いました。三番目の王子は「助けたい」と言って、二人の兄がとめるのも聞かず自分の身を横たえて食べさせようとします。しかし、虎には食べる力もありません。そこで頸動脈を切ってその血を飲ませたところが、虎が起き上がってその王子をたちまちかみ殺してしまいました。そして、子虎たちも元気になり山奥へ帰って行ったーというものです。
 この話を聞いて、私たちは三人の王子のことを考えます。長兄が正しかったのではないか。いや次兄の言う通りかも知れない。弟の言動は、どうしても理解できないなどと考えます。この三人の王子の思いや言動を、われわれの行動模範として考えるかもしれません。しかし、それでは経典の教は受け取れないと思います。
 仏教の師は、「この話のポイントはわれわれが虎であるということで、これが一番大事なところではないか」と言われました。「われわれは命も絶え絶えになって食べる元気もなく、多くの問題を抱えて死にそうになっている。それが三番目の王子に助けられた。助けられたのに自分を助けた人を食い殺す。感謝の心もなく、相手をしゃぶれるだけしゃぶって逃げていく。このような存在が私自身である。自分が何であるかをよく考えなければ仏法になりません。そのことをよく知っておかねばならない」と聞かされました。
 この法話を記録したものを久しぶりに読みましたが、記憶力の悪さでしょうか、人間の分別思考の習性か、三人の王子がわれわれの行動模範を示しているように読んでいました。「三番目の王子のような菩薩的精神の捨身は私には到底できない」と思いつつ読みを進めていたら、師の「死にかけた虎が私の相です」の指摘にあらためてビックリしました。仏はそんな私の姿を暴き出し、説き示されているのかと慄然としました。私は幸いにも戦争の極限状態を経験しなかった世代ですが、縁次第、時代状況によってはどんな行動をするか分からない身の危うさを思うのです。

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