「今を生きる」第423回 大分合同新聞 令和4年6月27日(月)朝刊 文化欄掲載
医療文化と仏教文化(249)
「自分のことは自分が一番知っている」と言っている人が、仏教の「縁起の法」や「空」の概念、そして無意識の領域(末那識、阿頼耶識)を知らされると、私たちの考えの浅さを仏の智慧が見破っていることに驚くのです。そして「自分のことは自分が一番知っている」と傲慢になって、自分についての表面的な理解だけで「分かっている」という自我に縛られた思い、それに気付かない無知さを指摘されるのです。
3月初め、ウクライナの惨事を伝える報道で、出国する母子が携帯電話で会話をする映像があり、最後に妻の「愛しています」に夫が「愛しているよ」と答える悲しい場面がありました。二人ともうそを言っていないという実感があって、ロシアの愚行や人間の愚かさ、迷いの現実にいたたまれませんでした。
非常時でなくても「私はあなたを愛しています」という思いを胸に結婚する男女は多いと思います。ところが日本の統計のよると3年前には婚姻数が約60万件で、離婚数が約20万件でした。仏教の縁起の法では、人の心は縁次第ではころころ変わることを示しています。
インドで一番多いヒンディー語では、愛について「私には、あなた対する愛の気持ちが起こって、今、私に留まっています」という表現をすると聞きました。「とどまっている」とは、いつ消えるかも知れない可能性を含んだ言い方です。だから、愛する気持ちを大切にしなければという発想になるのでしょう。
ところが自分の「思い」や「感情」を「私」だと思って、私の思いやフィーリングを大切にするとなるとそうはいきません。仏教が教える「縁起の法」は、縁次第では何でも起こるということを言っているのです。その事実に気付かず、「私の思い、感情を大事にします」と言っている人を仏教の視点から考えると、人は自分の思いや感情の奴隷になってしまうという指摘に耳を貸さず、それらの思いに振り回されてしまう危険があるのです。
仏教は「縁」を大事にする教えです、そしてキリスト者の渡辺和子さんが言う「置かれた場所で咲きなさい」に通じる世界を生きることを勧めています。
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