「今を生きる」第426回   大分合同新聞 令和4年8月29日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(252)
 お釈迦さんの悟りの内容に「縁起の法」があります。
 小さな子供と花火で遊ぶときには、まずロウソクに火をつけて、その火を花火に移します。しかし、少しでも風があると吹き消されることがあります。そんなとき、「風で火が消えた」と子供に言ったとします。
 「強い風が原因で、その結果ろうそくの火が消えた」という説明が因果律です。乾燥注意報が出ているのに登山者が食事の準備に火を使って、想定外の山火事になったというニュースを聞いたことがあります。この場合は風で火が消えるのではなく、強い風が原因で大火事になったのです。相反する二つの事例ですが、同じ「火」であっても風の有無、乾燥状況、燃えやすい落ち葉の有無など、周囲の種々の条件の違いでで、火が消えたり、火事になったりという違った結果になります。その種々の状況・条件を仏教では「縁」と言うのです。
 ある原因、ここでいえば火があって、それが周囲の「縁」によって種々の展開をします。それが「業」です。そして、そのために結果が生じます。それが次の事象へと影響すなわち「報」を及ぼすという「因・縁・業・果・報」です。
 仏教はキリスト教のような創造主はいません。仏の悟りである「縁起の法」は、現代人の科学的合理思考とも整合性があるのです。「仏教は、近代科学と両立可能な唯一の宗教である」と物理学者のアインシュタインが言っています。
 医学・医療は人や病態の客観的知見の事実の積み重ねと世界の医学・医療従事者の検証を経て構築されています。そのため多くの人の信頼を獲得しているのです。
 新型コロナウイルス感染症に対してワクチンに批判的な人がワクチン「賛成派」とか「反対派」と決めつけたり、ある種の薬を使うべきだと主張する意見を時々見ます。医学というのは効果の信頼できる客観的な資料が示されれば、いつでも軌道修正するのにやぶさかではないのです。どのワクチンや薬でも100%安全というものはありません。効果と副作用、福反応を見極めながら、個人や集団に良かれと考えて対応しています。
 医学・医療は最初に結論ありきではなくて、偏見にとらわれず、合理的に柔軟性・融通性を持って個人や地域コミュニティを守ろうとするものです。

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